保育園の運動会

こんにちは。

昨日は、4歳の姪の運動会に行ってきました。

 

私には子どもがいないので、保育園の運動会ははじめてでした。

 

姪は4月生まれなので、3歳児クラスの中では大きいほう、身体もガッチリしています。

おなじクラスでも早生まれの子は、まだ赤ちゃんの面影が残る顔つき。

自分も早生まれなので、早生まれグループの子どもたちに愛着が沸きました。

 

保育園の運動会は、その年齢の子どもたちができるレベルの動きを親の前で披露するという趣が強いんですね。

例えば、かけっこなら、3歳児は園庭1週、4歳児は1.5周、5歳児は2周。

4歳児は細い橋を渡りきる、など。

 

そうすると、かけっこでは、どうしてもコースに沿って走れなかったり、

いつでも毛布を離さず、お母さんと一緒じゃなかったらお遊戯に参加できなかったり、

慎重に慎重を重ねて、橋を渡りきるのにものすごく時間がかかったり、

という子どもたちがいて、

親にとっては「周りとの差」が露骨に披露されてしまう場でもあるんだなと思いました。

 

私が親だったら、運動会を見に来て、それを自覚させられるのって、

とてつもなく辛いことだろうと。それがその子の個性だとか、

神様は超えられる試練しか与えないとか、

そんなふうに達観できるのにはものすごく時間が要ることなのだろうと

考えてしまいました。

 

私の友人で、一人目の子が自閉症で、

小さいころから非常に手がかかるような気がしていたが、

周りの子と比較する機会なかったので、分からなかった。

それが幼稚園に入ってから先生に検査を受けたほうがいいのでは、

と言われて気づいた、という女性がいます。

 

その子は毎日幼稚園に行って、自分の子を見守っていて、

周りの子どもたちには先生の一人だと思われていたようです。

彼女がそこまでできたのは、旦那さんの存在が大きかったのではないかと思います。

 

旦那さんは、

「自分も自閉症の傾向があったし、自分の子にもそういった傾向があるんだと思う。

できないこともたくさんあるけど、できることもたくさんある。見守ってあげよう。」と毎日話を聞いてくれ、励ましてくれたそうです。

 

ある朝、その息子さんが「もう、僕一人で行けるから大丈夫だよ」と言って、

ほんの少し成長を見せてくれたそうです。

 

配偶者や状況が分かり合える人たちが、毎日、繰り返し、励ますのって大事なことなんだろうと思います。

仕事でも家庭に関しても、

自分の思いを繰り返し言う、って言っているほうは意味があるのかな?と思いがちですが、人間って、自分が関心がないことやそう思ってはいないことに関しては、ほとんど「聞いていない」というのが現実であると思うのです。

 

伝えたいことは、毎日、繰り返し、言い続ける。

伝わらないのであれば、手を変え品を変え、伝え方には工夫がいりますが、ね。