淋しいと言えたらな、、

私の友人で、とても淋しがり屋という人がいる。第一印象は、まったくそんな感じはしない。いや第一印象ではなく、第六印象くらいまで、まったく淋しそうではない。ただ、ちょっと深く付き合うと、そうなのかもな、という片鱗というか、淋しいと頻繁に言っているので淋しいんだな、という感じの人である。

彼が言うには淋しがり屋は親譲りだそうで、父親には、お前たちは俺の淋しさを埋めるために存在しているんだ、と常々言われていたとのことである。

対して私は、人に淋しいなんてあまり言ったことがない。日曜日の夕暮れの頃とか、突然会えると思ってた人に会えなくなったりとか、淋しさを感じる場面は多々あるけど、友人や肉親にそれを訴えてどうにか私が淋しくないようにしてほしい、なんて思ったことはないなと思う。

このメンタリティーの違いってなんなんだろう。

今日の夕方もふと、胸が締め付けられるように淋しさを感じて、こういう時にいつも感じる疑問を今日も思い出したのだった。

淋しい、なんていうと、面倒なやつって思われるんじゃないか、そんな風に感じている気がする。どうしてそう感じるのか?いつでも私は、私とのコミュニケーションによって相手に負担を与えたくない、とどこかで考えているから。それはなぜだろう。いい人でいたいから?違う。自分の奥底を知られるのが怖いから。それはあるかも。他には??

まだまだ答えは出ない。

でも私は淋しいって言える人が羨ましい。

もうちょっと掘り下げて出直します。